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『日本人とロシア人はお・も・て・な・しの民族(Японцы и россияне - гостеприимные народы)』

著者:河津 雅人(丹波・タンボフ交流協会 会長) 【4月28日(日)】「サプライズは突然に」

私の旅はサプライズから始まった。成田国際空港からモスクワ・ドモヂェドヴォ国際空港へ向かうJAL機内でCAの方々が、私の誕生日を祝ってくれたのだ。

次に驚いたのは、ロシアへの入国手続きが簡素化されていたことだ。私が10年前にロシアを訪れた時は確か、機内で出入国カードに記入して、入国審査で一緒に提示する必要であったと記憶しているが、現在はその手間が省かれていたのだ。ビザ付きのパスポートを入国審査で提示するだけで、あとはその場で記載済みの出国カードが渡される。つまり、出国手続きの際はビザ付きパスポートと出国カードのみを提示すればよい。

さて、ロシアへの入国手続きも済み、スーツケースを受け取るのだが、これも10年前に比べて遥かに迅速に行われていた。というのも、私がスーツケースを荷物受取場に到着した時には既にスーツケースが流れていた。スーツケースをピックアップして、到着待合口から少し歩いたところの両替所でドルからルーブルに替えた。勿論、街中の銀行で両替したほうがレートが良いのだが、ルーブルを持っていなかったのでここで両替することにした。(ただ後から考えれば、モスクワ街中まで現金無しでも行けるので、空港で両替しなくてもよかったかもしれない。)ロシア語や英語が分からなくても、パスポートと替えたい分のお金をカウンターの窪みに置き、「ナ・ルーブリ(ルーブルに替えてください)」と言えば両替してもらえる[1]


[近代的建築のドモヂェドヴォ国際空港]         



[アエロエクスプレス自動券売機]

空港の出口付近では盛んに「タクシー、タクシー」とタクシー運転手からタクシーを利用するよう呼び掛けられる。これを聞くとロシアに来たのだなといつも感じる。勿論、タクシーは公共機関より高いので、タクシー運転手を無視してアエロエクスプレス[2]の駅へ向かった。空港から出て、すぐ目の前にある通路を通って駅まで行く。有人の切符売り場があるが、自動券売機もあり、ロシア語又は英語の案内に従って都心部(パヴェレーツ駅)へ向かう切符を購入する。クレジットカードでも購入することが出来、この時点で往復切符(スタンダードクラス)が安く買えるので(860ルーブル=約1500円)お勧めだ。事前の調査では、電車内は混雑しているとあったが、1車両に5、6人ほどしか座っていなかったので、ビジネスクラスを買わずともスタンダードクラスで十分広々と座れた。ドモヂェドヴォ空港駅とパヴェレーツ駅の間に1駅[3]だけ存在するが、その駅で間違って下車しないように注意されたし。


[アエロエクスプレス車内]               

[アエロエクスプレス]

パヴェレーツ駅のホームから駅舎へ入る入口は複数あるが、アエロエクスプレスで到着した人は専用の入り口で荷物検査を受けなければならない。無事荷物検査を通過した私を待っていたのはモスクワに住む友達だった。昨年タンボフから大学進学のためモスクワに移った女の子と彼女の親戚家族(彼らもまたタンボフ生まれでモスクワに移住された方々)だ。彼らとは今まで会ったことはなかったが、SNSで知り合い、事前に連絡を取り合っていた。


[モスクワの友達]

この日4月28日はキリスト教(正教会)の復活祭(パスハ)でロシアでは肉や卵を食べたり、クリーチ[4]を焼いたり、イースターエッグ[5]を作ったりして祝う習慣がある[6]。彼らとともに彼らのマンション近くの森林公園でシャシュリーク[7]を頂いた。その後、暗くなったので、お宅へ招かれ、クリーチやクッキーなどを囲み、ギターを伴奏にダンスや歌が始まった。この日は偶然にも私の誕生日でもあったので「今日、キリストが復活した日だけど、君も同じ日に復活したんだねw」と冗談を言い合いながら、復活祭をみんなで祝った。


[シャシュリーク]                     

[皆で肉を取り分ける]


[ご家族宅に招かれ、復活祭を祝う]         

[食卓にはクリーチやイースターエッグが並ぶ]

さて、お別れの時が来た。タンボフ行きの寝台列車が出発する時刻が近づいてきたのだ。彼らとの別れは名残惜しいが、再度、飛行機で日本へ帰国する際にモスクワに戻ってくるので、その時また会おうと約束し、パヴェレーツ駅[8]から出発する寝台列車「タンボフ」の私の座席のコンパートメントまで見送ってくれた。コンパートメントは4人で1つの部屋なのだが、私を含めて2人しかいなかったので広々と利用できた[9]。当然ながら、相部屋になるのは見ず知らずのロシア人で、ロシアでの列車の旅の醍醐味はそんな見ず知らずの人たちと談笑することなのだが、この時既に22:00で消灯していたので、相部屋の方に迷惑をかけないよう私もすぐ就寝することにした。



[ご家族が住むマンションから見たモスクワ郊外の景色] 

[夜行列車のコンパートメント]

【29日(月)】「別れは新たな出会いのためにある」

朝5時過ぎ、列車に差し込む朝日で目が覚めた。少しお腹がすいたのでサラミサンドウィッチを齧った。これは前日御呼ばれした家族のお母さんが私のために作ってくれたものだった。ロシア人のおもてなし好きで世話好きな精神を感じながら、7時30分にタンボフ駅に到着した。そこで私は更なるおもてなしを受けた。なんと、駅のホームでフェドートフさん率いる「露日協会タンボフ支部」の会員の皆さんが日の丸を掲げて歓待してくれたのだ。私は連日の寝不足であったが日の丸から元気をもらった。


[タンボフ駅ホーム]                  



[タンボフ駅ファサード]

まずは、彼らと一緒にタンボフ駅前から宿泊する4つ星ホテル「ギャラリー[10]」へと市バスで向かった。ホテル「ギャラリー」は近代的な外装で、宿泊機能だけでなくコンフェレンスホール、ショッピングモール、カフェ、スポーツジムなどが統合した複合施設である。


[近代的外装のホテル「ギャラリー」]        

「4つ星ホテル「ギャラリー」のレセプション」

みんなでカフェで朝食をとり、部屋で少し休憩した後、我々は国立タンボフ工科大学[11]へと向かった。国立タンボフ工科大学では私を「日本の代表」として歓迎式典が行われた。女子学生たちがロシアと日本をそれぞれコンセプトにした自作の民族衣装を身に纏い、ファッションショーさながらの演出でモダンな音楽とともに、モデル歩きで現れた。その後、私は丹波・タンボフ交流協会の代表として、国立タンボフ工科大学学長ミハイル・クラスニャンスキー教授、露日協会タンボフ支部フェドートフさんとそれぞれ協定署名式を行った。私はロシアの民族衣装を着て(否、「着せられた」というほうが正しいが)多くの来場者とともに写真撮影を行った。馬子にも衣裳という感じで似合っているとお褒め頂いた。続いて私と大学生4名がそれぞれ丹波とタンボフについて20名を超す学生たちの前で特別講演授業を行った。マンガやアニメ以外は日本についてよく知らなかった学生たちが私の授業を通して日本や丹波に興味を持ってもらえたなら嬉しい。


[国立タンボフ工科大学との協定調印式]

[ロシア民族衣装を身に纏った歓迎式典]

その後、大学の応接間でボルシチ[12]、ブリヌィ[13]、ぺリメニ[14]、ロシアンティーといったフルコースのロシア料理が振舞われた。昼食後、大学関係者の方々とともに大学近くにある「永遠の炎」を訪れ、ロシアの為に第2次世界大戦で戦死した兵士の魂に哀悼の言葉を捧げた。また、街外れにある国際墓地へ訪れ、日本人抑留者を含めた各国の抑留者の慰霊碑に献花し、黙祷を捧げた。そして、大学関係者の方々と別れ、フェドートフさんとスポーツセンターへ行き、子供たちの柔道の練習を視察した。

夕方は、ロシアで人気が根強いウズベキスタン料理のレストランでフェドートフさんの家族と夕食をとった。私はこの店のおススメであるプロフ[15]を頂いた。フェドートフさん一家は皆、日本を訪れたことがあり、中でも印象的だった京都の嵐山の紅葉の美しさについて談笑しながら、楽しい時間を過ごした。そして、ホテルに戻った。身体は疲れていたが心は喜びで満たされていた。想い返してみても、ロシアでのこの2日間だけでもどれほど濃密な時間であっただろうか。


[大学での歓迎昼食会]                



[ぺリメニ、香草ディルを添えて]


[タンボフ抑留者日本人慰霊碑に献花]   

[フェドートフさん一家とウズベキスタン料理で夕食]

【30日(火)】「如何に『タンバ』を知ってもらうか」

ホテルでヴァイキング形式の朝食をとり、一杯のコンポート[16]を飲み干した後、フェドートフさんとともにホテルの前の道を挟んで向かい側にあるタンボフ州発展組合センター「ビジネス幾何学」の会議室でタンボフ州投資活動発展支援課の方と面会し、丹波市と我々の協会活動についてプレゼンを行った。地元テレビ局「新世紀」[17]をはじめ各メディア[18]からインタビューを受けた。


[「ビジネス幾何学」の会議室でのプレゼン]    

[地元メディアからのインタビュー]

この日の公的なスケジュールはタイトだった。次にタンボフ州では最大規模のプーシキン記念タンボフ州立多目的学術図書館[19]を訪問した。蔵書のジャンルごとにフロアが分かれており、各フロアごとに説明を受けた。図書館のご厚意でどのフロアでも日本に関する本が一番前面に陳列されていた。私は図書館のコンフェレンスホールで丹波と我々の協会活動についてプレゼンを行った。


[図書館に陳列された日本に関する書籍] 

[図書館ホールでのプレゼン]

そして次の面会先であるタンボフ州商工会議所[20]へ向かった。ここで今回最後のプレゼンを行った。この日だけで3回、2日間で計4回のプレゼンを行ったが、反応は概して肯定的で、元々日本について肯定的なイメージを持っている人ばかりで、興味津々で私の話に耳を傾けてくれたことが嬉しかった。

これらの面会の合間にもたくさんのタンボフ市民と出会う(知り合う)機会を作り、カフェで談笑したり、街を散策したりした。マンガが好きな女の子、日本語を勉強している女性、空手師範代の男性。彼らとは皆SNSで知り合い、私がタンボフに滞在していることを聞きつけ一度でも会って話したいと連絡をくれたのだ。


[タンボフ州商工会議所でのプレゼン]     

[空手師範代の男性と日本語を勉強している女性]

この日の公式の面会予定をすべて消化し、夕方ホテルに戻るとまた新たな連絡があった。日本人がタンボフに来ることなど滅多にないことなので、一度でいいから会いたいとの連絡だった。少し疲れてはいたが、快く承諾した。彼は国立タンボフ工科大学で法学の教鞭をとっている若者だった。彼と彼の彼女がタンボフ市を流れるツナ川の川岸通りと救世主顕栄大聖堂の鐘楼[21]、漆黒の夜に輝くアセエフ家邸宅歴史文化博物館[22]を案内してくれた。


[救世主顕栄大聖堂鐘楼]             

[アセエフ家邸宅博物館でのナイトコンサート]


[アセエフ家邸宅博物館の噴水とダンスするロシア人] 

[タンボフの夜を案内してくれた友達]

私が会ったたくさんのタンボフの「友達」は日本の「タンバ」という街から来た珍客に一度でも会いたかった、そして日本という素晴らしい国にいつか行きたいと、皆声を揃えて言った。ロシアの一地方であるタンボフにもこれほど日本に対する良いイメージや憧れが深く浸透していることにあらためて驚かされたし、それを踏まえると日本人のロシア人に対する認識を考え直さなければならないと気づかされた。

【令和元年5月1日(水)】「珠玉の名曲を生み出した地へ」

この日は朝早くホテルを出発した。現在は博物館になっているラフマニノフの別荘跡地(ラフマニノフ邸宅博物館[23])がタンボフ州のイヴァノフカにあり、そこへフェドートフさん一家とお婿さんの運転でNissanの車で向かった。道中、道路工事で立ち往生したものの2時間弱で着いた。朝から少し肌寒いが快晴だった。空色と建物の水色が風景の中で同化し、庭園にはライラックが丁度見頃を迎えていた。


[ラフマニノフ邸宅博物館]                 

[ラフマニノフ銅像]

この地はラフマニノフが休暇を過ごす為に一家で滞在し、ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18を含め数多の名曲を生み出した。博物館はこじんまりしていたが、ラフマニノフやここを訪れた音楽家仲間の所縁の品が展示されており、当時の息遣いが今でも鮮明に感じとれた。小さなホールで若手ピアニストによるラフマニノフ・コンサートが開かれた。ここでは定期的にコンサートが行われるそうだ。館長さんの話によると、ラフマニノフを愛する日本のピアニストも多くこの聖地を訪れるそうだ。私の為に特別に博物館から昼食を用意して頂いた。庭園のテラスでブリヌィ、ピロシキ[24]とサモワール[25]から淹れられたロシアンティーを頂いた。            



[ラフマニノフ邸宅博物館]





[庭園のテラスでの昼食。サモワールでロシアンティーが淹れられ、ブリヌィとピロシキを頂く]

館長さんは館内の案内の中で終始、日本の音楽を取り巻く環境の素晴らしさを熱弁してくださった。「日本はどんな自治体だろうが音響設備の整ったコンサートホールがあり、若手のピアニストを育成するための国からの支援も充実している。ラフマニノフは世界的に著名な作曲家であるが、ラフマニノフを愛する日本人ピアニストは特別多い。ロシアはそんな日本を見習わなければならない。」最後に特別にラフマニノフの本をプレゼントされた。タンボフ市内に帰る車内で運転席に付けられている「ちーたん」のぬいぐるみを見つめながら、充実した気分でホテルに戻った。


[熱弁する館長(左)]


[若手ピアニストのピアノコンサート]  

[フェドートフさんのお婿さんが運転するNissanとちーたん]

【5月2日(木)】「カバとクマ」

ロシアに滞在する中で初めて雨が降った。これまで連日タイトなスケジュールを消化してきたが、今朝はゆっくり休むことにした。軽い昼食を買うためにホテルに隣接しているショッピングモール「ベゲモット[26]」の中を見回った。私が10年前にモスクワの中心部に住んでいた時はルーブル高の影響もあり物価が高かったが、現在はルーブル安で、しかもタンボフは地方都市なので、商品の物価は低いように感じられた。感覚的には日本の物価の7~8割程度だろうか。

午後はフェドートフさんと一緒にタンボフ州郷土博物館[27]へ訪れた。ここでは、日本大使館の協賛で定期的に日本文化の展示が行われ、博物館ホールで毎年日本映画祭「もみじ」が行われている。博物館の展示スペースにはタンボフに生息する動植物の標本や剥製が陳列され、タンボフ狼や熊は迫力があった。

今回はタンボフの画家の方々が描かれた絵画作品の丹波・タンボフ交流協会への寄贈式典が行われた。


[タンボフ州郷土博物館の熊の剥製]

【5月3日(金)】「タンボフ最後の日」

雨が上がり、ロシアに来て初めて暖かくなった。この日はタンボフ滞在最終日。お土産を買いにタンボフ中央市場へ向かった。市場はロシア国内の商品のみならず、中央アジアやコーカサスなど様々な地域から商品が集まり、エキゾチックな雰囲気に囲まれている。フェドートフさんのご厚意でサーロ[28]、私の大好きなタンボフ産の蜂蜜、ロシアのチョコ「アリョンカ」、タンボフ狼がプリントされたTシャツ、そしてタンボフの画家が描いたタンボフの風景画をお土産として買って頂いた。

夜、夜行列車でモスクワに戻るためタンボフ駅へ向かった。フェドートフさんやタンボフでできた新たな仲間がホームまで見送りに来てくれた。私たちはお互いタンボフでの滞在を振り返り、別れを惜しんだ。そして、溢れんばかりのお土産と思い出が入ったスーツケースを持ち列車に乗り込んだ。発車してからも見えなくなるまで手を振ってくれた。


[中央市場の地元で採れた蜂蜜売り場]          

[タンボフ画家の画廊]

【5月4日(土)】「モスクワの家族(犬、猫を含む)」

早朝、モスクワのパヴェレーツ駅に着いた。モスクワに着いた日にお世話になったご家族がまた車で迎えに来てくれた。お宅に到着すると、既に仲良くなっていたワンちゃんと猫ちゃんが私を出迎えてくれた。


[モスクワの「家族」宅で頂く朝食]     

[パヴェレーツ駅内で見つけた日本の自動販売機]

お母さんは朝食にサーモンとバターをのせたパンとマカロニを出してくれ、お父さんは豆から挽いたコーヒーを淹れてくれた。また、ご厚意でシャワーをお借りし、ソファーで一休憩させてもらった後、娘さんと一緒にメトロ(地下鉄)でコローメンスコエ自然公園[29]へ向かった。私は最初電車の座席に座っていたが、お婆さんが乗ってこられたので席を譲った。見ず知らずの若者、しかも外国人に席を譲られて、どういう反応をされるかと思ったが、お婆さんはなんと私のカバンが重そうだからと、自分の膝の上に載せなさいと言って私のカバンを載せて持ってくれた。お互いにお礼を言い合った。

コローメンスコエ自然公園は世界文化遺産に登録されている。16~18世紀初頭、モスクワ川沿いにモスクワ大公や皇帝が離宮を構えた場所で、白亜のヴォズネセーニエ教会(1532年)、カザン聖母教会(1650年)、ピョートル大帝の小屋(1702年)などが点在する。この日は天気が良く少し暑かった。観光客だけでなく市民の安らぎの場として子連れの家族がゆっくりと散歩していた。ロシアに居るこの瞬間を大切にするよう、私も新緑の森林の空気を大きく吸い込んだ。


[娘さんに連れられコローメンスコエ自然公園へ]

[市民の安らぎと憩いの場としての公園]


[カザン聖母教会]

別れの時間である。ドモヂェドヴォ空港へ向かうためパヴェレーツ駅へ戻り、スーツケースを受け取り、「家族」に別れを告げ、帰路についた。

帰宅してすぐにスーツケースを開けた。お土産としてもらったサーロのニンニクの強烈な臭いが解き放たれたが、それと同時にロシアでの記憶が鮮明に脳裏を駆け巡った。

【ロシアの人々との交流で私は何を得たのか】

日本人にとってロシア人はこれまでは「遠方の他人」だった。また、ロシア人にとっても日本人は「極東(ロシア語で「遥か遠方の東」を意味する)の他人」だった。しかし、現実の地理を鑑みれば我々はずっと「隣人」であった。「隣人」であったからこそ近代国家になって以降何度も我々は衝突し、戦い合った。それは過去においては両国を切り裂く歴史問題として残り続けた。しかし、それは両者の未来の共存のための共有の財産とすべきである。両国の英霊は双方の地に眠り、我々両者とも両国の英霊たちを尊敬し合い、慰霊の言葉と花を捧げてきた。私が今回交流したロシアの若者は両国の未来を担う世代である。彼らは日本の文化を知り、深く尊敬し、理解しようと努めている。我々日本人も両国の未来のために相手を深く知ろうとすることが大事ではなかろうか。歴史は過去の為にあるわけではなく、未来のために存在する。我々は未来を生きるべきである。そのために私たちの協会はより交流事業を進めていかなくてはならないと再確認した旅だった。

[令和元年5月吉日 丹波・タンボフ交流協会 会長 河津雅人]


【脚注】

[1] 機内から降り、荷物受取場に行くまでに両替所が一つあるがとてもレートが悪いので、そこで両替することはお勧めしない。 [2] 空港特急列車(Аэроэкспресс) [3] ヴェールフニエ・コトルィ(Верхние котлы)駅 [4] Кулич 復活祭を祝うために焼かれるケーキ。 [5] Пасхальное яйцо 復活祭を祝うために彩色された卵。 [6] パスハ(Пасха, 復活祭)はキリスト教の最大の祝日。正教会では最も盛大に祝われる。復活大祭とも言い、英語ではイースター(Easter)。起源はユダヤ教の過ぎ越しの祭りであるが、キリスト教では新約聖書に基づいて、磔刑に処せられたイエスが死から蘇った日と考えている。春分直後の満月の後の最初の日曜日と定められているので、年によって移動する。正教会はユリウス暦を取っているので、カトリックの復活祭とは必ずしも一致しない。復活祭の前には7週間の精進週間が設けられていて、その間は肉食が禁じられている。精進が明ける土曜日の深夜から教会で夜を徹してキリストの復活を祝う儀式が始まる。その儀式の節目節目で司祭が「キリストは復活せり(Христос воскресе!)」と唱えると、会衆は「実に復活!(Воистину воскресе!)」と唱和する。儀式の後、精進明けの馳走が振舞われる。復活のシンボルとして鮮やかに彩色した鶏卵をつくるが、そのほかにパスハと呼ぶ菓子も焼かれる。復活最後の1週間は光明週間と名付けられ、古くは休日とされた。川端香男里他『ロシアを知る事典』平凡社、2004年、635-636頁引用。 [7] ロシア式BBQ。味付けした豚肉や玉ねぎなどを金属製の串に刺し炭火で焼く。 [8] パヴェレーツ駅はアエロエクスプレス(空港特急列車)専用ホームと都市間列車専用ホームとに分かれており、また地下鉄の駅もある。 [9] コンパートメントを予約する際は2段ベット×2なので2段ベットの下段のベットの席を予約することをお勧めする。 [10] ロシア名ではГалерея。https://m.galleria-tambov.ru/ [11] TSTU(Tambov State Technical University), ТГТУ(Тамбовский государственный технический университет) http://www.tstu.ru/ [12] Борщ 赤ビーツのスープ [13] Блины ロシア式クレープ [14] Пельмени ロシア式水餃子 [15] Плов 中央アジア式羊肉のピラフ [16] Компот ベリー類など果実をシロップで煮詰めて冷やした飲み物 [17] Новый век. 新世紀インタビュー映像 https://youtu.be/VCbqhjPkpHs [18] タンボフMK新聞のインタビュー記事https://tambov.mk.ru/social/2019/04/30/tambovskaya-oblast-nalazhivaet-svyazi-s-yaponskim-gorodom-tamba.htmlオンライン・タンボフ新聞のインタビュー記事https://www.onlinetambov.ru/news/society/tambovskaya-oblast-razvivaet-sotrudnichestvo-s-yaponiey/ [19] Тамбовская областная универсальная научная библиотека им. А. С. Пушкина http://www.tambovlib.ru/ [20] Тамбовская областная ТПП http://totpp.ru/ru/ [21] Спасо-Преображенский кафедральный собор [22] Историко-культурный музейный комплекс «Усадьба Асеевых» http://www.mk-aseeva.ru/ [23] Музей-усадьба С. В. Рахманинова «Ивановка» https://ivanovka-museum.ru/ [24] Пирожки ロシア式パイ [25] Самовар ロシアの伝統的な金属製の給茶器 [26] Бегемот 「カバ」を意味する。 [27] Тамбовский областной краеведческий музей http://www.tambovmuseum.ru/ [28] Сало 豚バラ肉の塩漬け [29] Музей-заповедник «Коломенское» http://www.mgomz.ru/kolomenskoe

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